シドニー教室 教室長ブログ

教室長鈴木 朗

香港が英国から中国に返還される前年の1996年に香港で学習塾講師となる。その後、紆余曲折を経て2002年にエピス代表の澤村と共にepis Education Centreを設立。2010年にシドニー教室を開校させる。子どもたちが目指す目標に向かって一緒にどろんこになりながら走るのが何よりも好きなんだということに今さらながら気がつく。趣味は、ウルトラマラソンやトライアスロン・アイアンマン、ウルトラトレイルランニングに出場して自分を極限まで虐めること。

エピス大抽選会!

今日は夏期講習会第1タームの最終日。小学部の子どもたちにとっては、5日間頑張ったスタンプラリーテストのご褒美がもらえる楽しみな日なのですが、シドニー教室では今回からちょっと趣向を変えて「エピス大抽選会!」を実施することにしました。

昭和生まれの僕たちだったら誰もが知っている抽選器(ガラポン)。ガラポン回したさに無駄に買い物をしたレシートを握りしめ、デパートの催事場で並びましたよね? 海外では見かけないこうした日本の文化に親しんでほしいという願いを込めて、今回からガラポンによる抽選方式でスタンプラリーの景品をプレゼントすることにしました。

景品は子どもたちが大好きな文房具で、3等でもロケット鉛筆がもらえる空くじなしの抽選です。スタンプラリーテストは小学生対象に行ってきましたが、大抽選会を見ていた中1生が「僕たちもやりたい〜」というので、秋期講習会からは中学生も一緒に楽しむ予定です。乞うご期待!



あけましておめでとうございます


あけましておめでとうございます。

未だ落ち着かない世の中ですが、子どもたちが学校に通って遊んだり勉強したり、友達同士で集まってスポーツをしたり、旅行に出かけたりできるような、ごく普通の日常が1日も早く帰ってくることを強く願っています。僕たちが求めているのは、ニューノーマルではなくノーマルな生活です!

2021年はきっと去年よりずっといい年になると信じて、シドニー教室スタッフ一同、全力で日々を生きていきたいと思っています。本年もよろしくお願いいたします。



シドニー教室開校10周年!


今日はエピス・シドニー教室が誕生して丸10年となる日。そこで、フジ・ベーカリーさんにお願いしてエピスのロゴ入りケーキを作っていただき、スタッフとささやかなお祝いをしました。

香港で生まれ、多くの子どもたちから愛されたエピスという学習塾は、南半球のオーストラリアでも果たして受け入れてもらえるだろうか…。絶対に気に入ってもらえるはずという自信はあるものの、シドニーでは知名度ゼロなので不安いっぱいの状態で行った第1回説明会がちょうど10年前の2010年11月3日だったのです。「説明会に来てくれる人が少なかったらさすがにカッコ悪い!」と思い、幼馴染みをサクラとして動員したことは今となってはいい思い出です(笑)。

こうして誕生したエピス・シドニー教室の初年度に入会してくれた小学生たちはすでに大学生。中学生や高校生に至っては、もう立派な社会人としてバリバリ働いていますので、そりゃあ僕も歳をとるわけです。そして、卒業してからもう何年も経つのに、今でもときどき、僕のFacebookやInstagramを見てメッセージを送ってくれるのですが、彼らが自分の決めた道で充実した人生を送っていると知っては、密かにほくそ笑んでいます。

開校時というか、シドニーに学習塾を作ろうと思ったときに掲げた目標は、「シドニーで暮らす子どもたちが人生においてさまざまな選択肢を持てるような手助けをすること」でした。中学受験や高校受験、大学受験で憧れの学校に合格できたこと、苦手で半ば諦めていた算数の面白さに目覚めたこと、日本語なんて話せれば十分と思っていた子が日本の大学に行きたくなって小論文に取り組み始めたこと...。子どもたち一人ひとりにそれぞれのドラマがあり、その大切な場面に関わらせてもらいました。これが海外塾の講師としての一番の醍醐味だと思っています。

さて、今日から新しい10年が始まりますが、特に気負うことなくこれからも子どもたちの岐路に携わることで自分自身も成長させていきたいと思っています。今後もシドニー教室をどうぞよろしくお願いいたします。


サザンの無観客ライブを観て

シドニーではコロナ騒動がやや落ち着いて平常の生活に戻りつつありますが、気がつけばもう6月も終わり。2020年も半分が過ぎてしまいました。せめて月に1つ位は書いておきたいので先週の出来事を。

6月25日にサザンオールスターズのデビュー42周年を記念した無観客ライブがオンラインで行われました。エピス会員のお父様、お母様の中にも年代的にサザンファンが少なからずいらっしゃるのではないかと思いますが、何を隠そう僕も筋金入りのサザンファン。はっきりと覚えているのは1982年のシングル『チャコの海岸物語』で、当時9歳だった僕は桑田佳祐に憧れ、彼がこの曲をテレビで唄っているときに身に付けていたサスペンダーがあまりにもカッコよくて、ねだって買ってもらったことをよく覚えています。中学生になってからはファンクラブに入会。88年の「大復活祭」や98年の浜名湖「渚園」、2000年に行われた「茅ヶ崎ライブ」などなど、歴史に残る名ライブの数々にも足を運びました。

さて、今回、無観客ライブを横浜アリーナで行うと知り、「是非とも観たい!」と思う一方で、「なぜ横アリ?どうせなら普通ではあり得ない、小さなライブハウスの方がいいのでは?」と考えていました。そして当日、いよいよライブがスタート。1万7000人を収容できる会場に観客は1人もいません。その会場に向かって「スタンド〜、アリ〜ナ〜」と呼びかける桑田佳祐。シュール過ぎる、あまりにもシュール。なんとも言えない、ちょっと困ったような桑田佳祐の横顔が印象的でした。

そういえば、僕も3カ月前に突然スタートしたオンライン授業の初日に誰もいない教室で、ひとりiPadのカメラに向かって「こんにちは〜」と叫んだときに何とも言えない気持ちになったことを今でも鮮明に覚えています。このカメラの向こう側には間違いなく子どもたちがいるのに、教室には誰も座っていない机と椅子が整然と並んでいるという違和感。ライブを観ながら桑田佳祐に共感できてしまう不思議な感覚です。

しかし、演奏が進むにつれて桑田佳祐のテンションが次第に上がっていくのがはっきりとわかります。アンコール前の最後の曲『勝手にシンドバッド』でのハイテンションは、もはや無観客のそれとは思えません。もちろん、僕も自宅のソファでノリノリですよ♪ そして、この感覚もやっぱりオンライン授業と同じでした。授業の中盤からテンションが徐々に上がってくると、つい声は大きくなり口も滑らかになって、いつもと変わらぬ授業をしていたなぁと。桑田佳祐と自分を比べて語るなんてこっ恥ずかしいにも程がありますが、それでもやっぱりちょっとは同じような経験をしたのではないかと思うのです。

ところで、「横アリではなく、小さなライブハウスでやった方がいい」と最初は思っていたのですが、ライブを最後まで観て横浜アリーナで行った意味がよくわかりました。今回、無観客にもかかわらず、炎は出るわ火花は飛ぶわと舞台装置はいつも通りの大がかりなものでした。おそらく、携わった関係者の数は相当数でしょう。現在、さまざまなイベントの自粛でこうした仕事に関わる人の中には収入が激減している人も少ないくないはずです。今回サザンのライブを観た人はのべ50万人と言われており、チケットの販売数は18万枚だったそうです。チケットは3600円でしたので、単純計算ですが1ライブで6億4800万円もの売上です。久しく仕事がなかったイベント関係者にとって恵みの雨のようなライブだったのではないかと想像しています。

国や地域によってはだいぶ落ち着いてきたコロナウイルスですが、ちょっと気を緩めればまたぶり返してきそうな状況です。そんな中で、サザンオールスターズのように新しいテクノロジーを駆使し、自分たちの持てる力で困っている誰かの役に少しでも立てたらと、規模の大きさは全然違いますが僕たちも同じように思っています。

エピスでは5月からこれまでに2回、計14校の学校の先生方の協力を得て「海外生のためのオンライン合同学校説明会」を実施してきました。リビングで寛ぎながらお父さんも含めて家族みんなで視聴して欲しいと考えて日曜日に行っているため、各学校の先生方には貴重なお休みの日に学校に出てきていただくことになり大変恐縮です。エピスにおける僕の担当は、学校の先生方にコンタクトを取ってこの合同説明会の趣旨を説明して参加の協力を取り付けることでしたが、各国が鎖国状態となり日本への一時帰国が難しい状況をとてもよく理解していただき、多くの学校の先生方が日曜日であっても快く合同説明会への参加を約束してくださいました。

また、合同説明会の実施を担当しているエピス香港地区のスタッフは、授業の合間を縫って各学校の先生方とリハーサルを行い、当日視聴者の方々に少しでも快適に説明会を観てもらえるようにさまざまな準備をしています。同じエピスの仲間ではありますが、彼らに頭が下がると同時に、自分たちの持てる力を活かして困っている海外の子どもたちの役に立っている彼らを誇らしく思います。

コロナウイルスなんて発生しない方がよかったに決まっているのですが、こうした困難を乗り越えようとする知恵と行動の結果が、サザンのライブを海外にいながらリアルタイムで視聴できるようになったことや、約30校の学校の先生方と協力してアジア全域の小・中学生とそのご家族に学校説明会を届けることに繋がったと思っています。今後の日曜日(7月5日)も海外生に人気の学校7校の先生方がそれぞれに趣向を凝らした説明会を行ってくださいます。是非、ご視聴ください!

「海外生のためのオンライン合同学校説明会」参加申込はコチラから


人生を変えた(かもしれない)一冊の本


どこへも出かけられない週末、部屋の掃除や断捨離にいそしむ方が多いのではないでしょうか。僕は必要最小限の持ち物で身軽に生きる「ミニマリスト」にちょっと憧れるものの、その障害となるものの1つが本でした。

これまで幾度も海外引っ越しをし、その度に重荷となってきたのが本です。段ボールに詰めると小さいくせにかなり重量があるので送料が高い。その結果、海外引っ越しの度に本棚1架分くらいの本や雑誌を処分してきましたので、これまでに2000冊くらいは処分したはずです。ところが、数年経つともう一度読みたくなったり、入試問題で小説の一部分が扱われたときに前後の部分を子どもたちに紹介してあげようと思ったりして、処分したことを後悔してきました。

ところが、ここ数年、電子書籍ばかりを買うようになり書棚の本がほとんど増えなくなりました。気になって調べてみると、2013年2月に生まれて初めて電子書籍を購入し、それ以降7年間で422冊の電子書籍を買っていました。一方、紙の本は絶版になっているものをときどき古本で買う程度です。

しかし、たいていの本が電子書籍で買えるようになったのはここ2、3年ですので、それ以前は紙の本を買っており、それらが今なお書棚に溢れています。そこで、これを裁断してPDF化する「自炊」という作業を進めています。これはこれで結構手間がかかるので、時間のあるときに少しずつやっているのですが、先日、裁断をしようと手に取った本を開いた時、心は30年前にタイムスリップしていきました。

上の写真『河童が覗いたヨーロッパ』の著者である妹尾河童さんのことを、多くの方はおそらく『少年H』の作者として知っているのではないかと思います。累計340万部発行され、ドラマ化や映画化もされ、一時期入試問題にも頻繁に登場しました。授業で子どもたちに妹尾河童さんのことを話すと、やはり小説家だと思っている子どもたちがほとんどでした(間違ってはいないのですが)。しかし、妹尾河童さんが書かれた小説は『少年H』のみ。他の作品はすべてエッセイですし、そもそも本業は舞台美術家というべきでしょう。

僕がこの本を初めて手にしたのは高校生の時で、恩師が授業中に姉妹書の『河童が覗いたインド』を紹介してくださったのがきっかけでした。その後、妹尾河童さんに傾倒し、著作はすべて手に入れて繰り返し読み、どうしても本人にお会いしたくて新刊発売時のサイン会に行き、握手もしてもらいました(笑)。

エピスの子どもたちの中には、生まれてすぐにパスポートを取ったというような子がたくさんいますが、僕が初めて海外に出たのはハタチを過ぎてから。そのきっかけになったのがこの本でした。初めて見た日本以外の世界は自分の知らないことだらけで、自分が「井の中の蛙」あることを思い知らされました。そして、僕の悪いクセなのですが、考えが極端な方向にずんずんと進んでいってしまい「卒業後は海外に渡って自分の力で生きてやる!」と考えるようになりました。もし、この本に出会っていなかったら、香港やシドニーで子どもたちと戯れて生きていくような人生ではなかったかもしれないと思うと、僕の人生を変えたかもしれない本だと思えてきます。

はじめにも書いたように、僕はこれまでに随分とたくさんの本を処分してきましたが、この本は売られることも捨てられることもなく30年近く僕の手元にずっとありました。今回も裁断を免れ、おそらくこれからもずっと書棚の片隅を占領し続けるような気がします。