わかば深圳教室 教室長ブログ

教室長飯尾真之

エピス開校間もない2003年3月に香港へ赴任。その後、九龍教室、メルボルン教室、蘇州教室と渡り歩き、現在わかば深セン教室在籍。さまざまなバックグラウンドをもつ海外在住生徒を導いた経験から、その子その子に応じた適格な学習指導をすることに定評があります。神奈川県出身ですが、どういうわけか小4からウン10年、筋金入りのカープファン。20年近く辛酸を舐めてきましたが、ここ数年、応援が報われる機会が増えてきています。

香港から中国への入り口は、いま

労働節のお休みは深圳から出ることができなかったため、羅湖のホテルに宿泊しました。香港在住の19年前、パスポートコントロールを抜けた羅湖の街は、再開発工事によりいたるところに粉塵が舞い、怪しげな物売りが次々と声をかけてくる混沌とした世界でした。

そんな懐かしさを胸に街を歩いてみましたが、当時の工事現場は整然とした駅前広場と、オシャレな公園として整備され、あのころのカオスはどこにも見られませんでした。

また、香港からの買い物客で大賑わいだった羅湖商業城は、このコロナ禍で越境ができない状況が続く中、すっかり閑古鳥が鳴いていました。時代の流れを感じてしまいますね。


深圳は秋?

こんな写真を見ると「深圳はいま秋なの?」
なんて声が聞こえてきそうですが、それは日本の季節感覚。

亜熱帯に属するここ華南では、春真っ盛りと思われるこの時期にたくさんの落葉があります。
ここ1週間、ロックダウンで歩道の清掃が行われていなかったこともあってか、路上にはたくさんの落ち葉が積もっていました。

こんな日常のちょっとした風景を見るだけで、私たちは日々、既成概念に縛られてしまっていることに気がつきますね。
みなさん、街を歩くときは携帯ばかりいじっていないで、周りをキョロキョロしてみてください。
いろいろな「気づき」がありますよ。


明けましておめでとうございます

新年快楽! Happy New year! Bonne Année !  Frohes neues Jahr! ¡Feliz año nuevo! С Новым годом ! Καλή Χρονιά Σε Όλους! Gelukkig Nieuwjaar

世界にはそれぞれの言語で、それぞれの新年のあいさつがありますが、2022年、世界がまた自由に行き来できるようになることを祈って。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

写真は深圳のパワースポットいろいろです。
@天后宮 @古塔 @弘源寺 @尖?山 @弘法寺 @万佛禅寺 @紅花山 @鳳凰山 @弘福寺


教室再開に向けて準備中です!

春節明けから、オンライン授業1本になっていた深圳教室の教室授業再開に向け、ただいま着々と準備を進めております。

先週末には教室消毒、今週には職員のPCR検査を済ませました。ちょうど先ほど、検査結果が届いたところで、もちろん全員、陰性です。

私自身、2月29日に蘇州より異動してきたため、まだ、一部の生徒以外、画面を通してしか顔を合わせていません。これから少しずつ日常が戻り、生徒のみなさんと直接対面できることが楽しみでなりませんね。


また、他の講師にとっても、約5月ぶりの対面となるわけで、「大きくなったなー」なんて親戚のおじさんみたいなセリフを吐いてしまいそうな予感がします。

今後のスケジュールなどについては、決まり次第、みなさまにお伝えして参りますので、今しばらくお待ちください。


2020年、新年のご挨拶。

潮汕地区の民家におじゃましました。


2020年、新年のご挨拶。

明けましておめでとうございます。

2020年は区切りのいい数の年であったり、オリンピックイヤーであったり、10連続偶数の平方の和(2020 = 4の2乗 + 6の2乗 + 8の2乗 + 10の2乗 + 12の2乗 + 14の2乗 + 16の2乗 + 18の2乗 + 20の2乗 + 22の2乗)であったりということもあり、特別な年を迎える感があります。

新しい1年を迎え、私個人としては「未知との遭遇」を意識した1年にしたいと思っています。

映画『未知との遭遇』は好きですが、特に関係ありません。語呂がいいので「未知との遭遇」という言葉を使っていますが、より「偶然性」を大切にしていきたいという意図です。


潮汕地区の民家群

ネット検索やインターネットでニュースの閲覧時に表示される広告は、私自身の過去の検索ワード、閲覧履歴などから推測される私自身に最適化された内容です。ニュースアプリも私の興味の範疇である「教育」「深セン」「プログラミング」などの自身が設定したキーワードを元にフィルタリングされたニュースだけを読むことができます。

情報が溢れる時代において情報の選択、情報リテラシーは必須ですが、あまりに過度な情報の絞り込みは、興味のある世界により深く入り込む良さがある反面、興味のない世界と隔絶する可能性も生み出します。

2019年に際立った自国第一主義、反グローバリズムによる世界の分断は、単に国家のリーダーや政治家たちだけの責任ではなく、一般市民の思想の偏りも原因なのではないかと思っています。自分の興味のある情報、好きな情報だけに触れていては、他人を、異文化を理解し、許容する力は失われていくのではないかと思っています。


村の子供たち。ドローンは初めて?

そんな思いにも駆られ、意図された情報の中に浸かりきった生活から脱し、「偶然性」を意図的に得るべく、大晦日の朝に思い立って長年行けずにいた広東省東部(深セン市から東に300km)のとある村へ一泊二日のショートトリップに飛び出しました。

私の目的(未知との遭遇)に良い具合に、その村に関する情報は日本語でネット検索しても全く出てきません(中国語でわずかにヒットしました)。私がたまたま高速鉄道の車窓から見かけて気になっていた古民家がある村です。

私はその村に辿り着けるかどうかさえも不安だったので、それらの古民家を間近に見ることができたら大満足だったのですが、思いがけない2つの体験をしました。1つは村挙げての葬儀(出棺の行列)に出くわしたことです。

その村の出棺では村人全員(400人くらい)が参加していると思われるほどの行列で、ド派手に大砲を打ち鳴らし、マーチングバンドも加わって盛大に送り出しているのです。人が生命を全うし、その最期の(新たな?)旅立ちを村人が祝福しているような光景は、私の死生観に深く何かを刻まれる感覚がありました。


おじいさんが工夫茶を振舞ってくれる。

もう1つは、ドローンを飛ばして村を空撮していた私(明らかに村人と服装が違う)に、村の子供達が群がってきて、ちょうど昼食時だったため、子供達やおばあさんに誘われる形で民家に招き入れられ、食事や潮汕地区に伝わる伝統文化である工夫茶(濃くて苦い烏龍茶)を振舞っていただいたことです。

この素朴な村人との交流の中で感じたのは、この3年間で劇的な発展を遂げた深セン市での生活に比べると、この村での生活は10年20年と大きな変化がないのではないかということです。

私自身は急激に変化する深センで暮らしているので、あたかも世界中が大きな変化を遂げているかと錯覚していましたが、何も変わらず平和に幸せに暮らしている人々が割と近くにいて、それにも気づかず或いはは無視して自分たちの経済第一主義的な社会に巻き込んでしまっているのだと思いました。


おばあさんが昼食を振舞ってくれる。

私たちの身近なところにも小さな分断が起こっており、それが少しずつ積もってきているのかもしれません。それが世界の大きな分断のきっかけにならないよう自分自身ができることが、「未知との遭遇」だと思っています。

旅行に限らず、人との出会いと対話を大切にして2020年という節目の年を豊かな年にしていきたいと思います。