わかば深圳教室 教室長ブログ

教室長飯尾真之

エピス開校間もない2003年3月に香港へ赴任。その後、九龍教室、メルボルン教室、蘇州教室と渡り歩き、現在わかば深セン教室在籍。さまざまなバックグラウンドをもつ海外在住生徒を導いた経験から、その子その子に応じた適格な学習指導をすることに定評があります。神奈川県出身ですが、どういうわけか小4からウン10年、筋金入りのカープファン。20年近く辛酸を舐めてきましたが、ここ数年、応援が報われる機会が増えてきています。

教室再開に向けて準備中です!

春節明けから、オンライン授業1本になっていた深圳教室の教室授業再開に向け、ただいま着々と準備を進めております。

先週末には教室消毒、今週には職員のPCR検査を済ませました。ちょうど先ほど、検査結果が届いたところで、もちろん全員、陰性です。

私自身、2月29日に蘇州より異動してきたため、まだ、一部の生徒以外、画面を通してしか顔を合わせていません。これから少しずつ日常が戻り、生徒のみなさんと直接対面できることが楽しみでなりませんね。


また、他の講師にとっても、約5月ぶりの対面となるわけで、「大きくなったなー」なんて親戚のおじさんみたいなセリフを吐いてしまいそうな予感がします。

今後のスケジュールなどについては、決まり次第、みなさまにお伝えして参りますので、今しばらくお待ちください。


2020年、新年のご挨拶。

潮汕地区の民家におじゃましました。


2020年、新年のご挨拶。

明けましておめでとうございます。

2020年は区切りのいい数の年であったり、オリンピックイヤーであったり、10連続偶数の平方の和(2020 = 4の2乗 + 6の2乗 + 8の2乗 + 10の2乗 + 12の2乗 + 14の2乗 + 16の2乗 + 18の2乗 + 20の2乗 + 22の2乗)であったりということもあり、特別な年を迎える感があります。

新しい1年を迎え、私個人としては「未知との遭遇」を意識した1年にしたいと思っています。

映画『未知との遭遇』は好きですが、特に関係ありません。語呂がいいので「未知との遭遇」という言葉を使っていますが、より「偶然性」を大切にしていきたいという意図です。


潮汕地区の民家群

ネット検索やインターネットでニュースの閲覧時に表示される広告は、私自身の過去の検索ワード、閲覧履歴などから推測される私自身に最適化された内容です。ニュースアプリも私の興味の範疇である「教育」「深セン」「プログラミング」などの自身が設定したキーワードを元にフィルタリングされたニュースだけを読むことができます。

情報が溢れる時代において情報の選択、情報リテラシーは必須ですが、あまりに過度な情報の絞り込みは、興味のある世界により深く入り込む良さがある反面、興味のない世界と隔絶する可能性も生み出します。

2019年に際立った自国第一主義、反グローバリズムによる世界の分断は、単に国家のリーダーや政治家たちだけの責任ではなく、一般市民の思想の偏りも原因なのではないかと思っています。自分の興味のある情報、好きな情報だけに触れていては、他人を、異文化を理解し、許容する力は失われていくのではないかと思っています。


村の子供たち。ドローンは初めて?

そんな思いにも駆られ、意図された情報の中に浸かりきった生活から脱し、「偶然性」を意図的に得るべく、大晦日の朝に思い立って長年行けずにいた広東省東部(深セン市から東に300km)のとある村へ一泊二日のショートトリップに飛び出しました。

私の目的(未知との遭遇)に良い具合に、その村に関する情報は日本語でネット検索しても全く出てきません(中国語でわずかにヒットしました)。私がたまたま高速鉄道の車窓から見かけて気になっていた古民家がある村です。

私はその村に辿り着けるかどうかさえも不安だったので、それらの古民家を間近に見ることができたら大満足だったのですが、思いがけない2つの体験をしました。1つは村挙げての葬儀(出棺の行列)に出くわしたことです。

その村の出棺では村人全員(400人くらい)が参加していると思われるほどの行列で、ド派手に大砲を打ち鳴らし、マーチングバンドも加わって盛大に送り出しているのです。人が生命を全うし、その最期の(新たな?)旅立ちを村人が祝福しているような光景は、私の死生観に深く何かを刻まれる感覚がありました。


おじいさんが工夫茶を振舞ってくれる。

もう1つは、ドローンを飛ばして村を空撮していた私(明らかに村人と服装が違う)に、村の子供達が群がってきて、ちょうど昼食時だったため、子供達やおばあさんに誘われる形で民家に招き入れられ、食事や潮汕地区に伝わる伝統文化である工夫茶(濃くて苦い烏龍茶)を振舞っていただいたことです。

この素朴な村人との交流の中で感じたのは、この3年間で劇的な発展を遂げた深セン市での生活に比べると、この村での生活は10年20年と大きな変化がないのではないかということです。

私自身は急激に変化する深センで暮らしているので、あたかも世界中が大きな変化を遂げているかと錯覚していましたが、何も変わらず平和に幸せに暮らしている人々が割と近くにいて、それにも気づかず或いはは無視して自分たちの経済第一主義的な社会に巻き込んでしまっているのだと思いました。


おばあさんが昼食を振舞ってくれる。

私たちの身近なところにも小さな分断が起こっており、それが少しずつ積もってきているのかもしれません。それが世界の大きな分断のきっかけにならないよう自分自身ができることが、「未知との遭遇」だと思っています。

旅行に限らず、人との出会いと対話を大切にして2020年という節目の年を豊かな年にしていきたいと思います。


深センを満喫する季節です!

「妃子笑」という品種のライチ。


深センの6月はライチの季節です。そこら中にあるライチの木に緑のライチの実が実ってきました。
日本の桜のように、タイミングを逃すと旬のライチを食べることができません。ライチは日持ちもしないので、私はライチが熟すの今か今かと木の下から狙っているところです。
今年は6月17日が端午節の休みでもあり、ライチの旬でもあるので、この日曜日はライチの争奪戦になるかもしれません。


色づき始めたライチの実

ライチと言えば、唐の詩人杜牧がライチを歌った漢詩もあります。

 長安廻望繍成堆 山頂千門次第開
 一騎紅塵妃子笑 無人知是茘枝来

騎馬が砂埃を上げてやってくるのを見て、誰もが緊急の早馬が来たと思っているところ、それを見ていた楊貴妃だけがライチが届いたことを知っているので微笑んでいるというなんともほのぼのとした情景です。ここで出てくる「妃子笑」という言葉がライチの品種名となっています。

深センではそこら中にある「ライチ狩り」ができるスポットもあるので、家族で行ってみるのもいいと思います。ただ、ライチは食べ過ぎると漢方でいうところの「上火」という、体が火照った状態になるので、実は暑い夏には向かない食べ物なので、子供ならせいぜい5個、大人でも10個程度を目安に食べすぎないように気をつけてください。
6月中旬から6月いっぱいまでがライチのシーズンになりますので、「楊貴妃が食べた」とも「世界で一番美味しい」とも言われる深センの新鮮なライチをぜひ味わってみてください。


バナナの花も咲いています。


まだ緑色のライチ


シェアサイクルブームは中国に何をもたらすのか

駐輪スペースに停められたシェアサイクル

シェアサイクルが中国で猛烈な勢いで普及しています。最近ではその勢いが日本にまで届き北海道でもモバイクが導入されたようです。
そして、その普及が加速するなか、同時に駐輪のマナーについて言及されることが増えてきています。日本のマスコミからすれば、「中国人はマナーが悪く好き勝手に乗り捨てるから最低!」という中国批判の記事を書く格好のネタになるでしょうし、情報を受け取る日本人からすれば、「やっぱり中国人はダメだね」と言ってちょっとした安堵かんを得られるのでしょう。
しかし、よくよくこの社会現象を見ているとシェアサイクルの普及は、実は中国人のマナー意識を高めたと言えます。一旦は無政府状態で誰もが好き勝手に乗り捨てていましたが、今では、「マンション内には乗り入れない」「決められた場所に停める」というような意識が育ってきています。
日本ではルールを決めて、決めたルールはみんなで守るというスタンスだと思いますが、中国ではルールを先に決めるのではなく、始めてみたことに問題が起こったら修正していくスタンスで、失敗することや改善点が浮上することが前提で、始めから完璧なものを作り出すのではありません。
中国に暮らす日本人にとってみれば、そのような学びの機会が生活の中にも含まれています。今中国で暮らす子供たちがグローバルな視点で物事を捉えていくという意味でも、子供のうちから中国のやり方を肌で知ることができるのは、貴重な経験だと言えます。
そのためにも、私たち大人が自分たちの住む社会を理解し、「日本と違うものはダメ」ということではなく、「なぜダメなのか」「本当にダメなのか」を学びなおす機会としていかなければならないと思います。


誕生日おめでとう


深圳市は1979年8月26日に、深圳経済特区に指定されました。昨日がその8月26日でしたので、ちょうど37周年の日にあたります。
経済特区に指定されただけではなく、深圳市が誕生したのも同じ年の1979年の3月ということで、深圳市にはたった37年の歴史しかありません。それまでは宝安県という小さな県でした。県というのは、日本では「県」の方が「市」よりも広い地域を管轄するのに対して、中国では「市」の方が、「県」よりも広い地域を管轄しています。
深圳は1979年3月に宝安県から深圳市に格上げされ、さらに同年8月に経済特区にしてされたその直後から、香港に隣接する中国の都市として急速な発展を遂げました。
深圳は日本での知名度が非常に低いかと思いますが、中国国内はもちろん、世界の経済界が注目する都市であることは間違いないと思います。
私は、せめて深圳に住む日本の子供たちには、自分たちの住む深圳を少しでも多く知った上で、帰国してほしいと思っています。それは、深圳には爆発的な経済成長を推進するパワーと、夢と希望を持った若者が集まる情熱があるので、そこで育った日本人にも深圳で育ったからこそ、パワーと情熱のみなぎる人物に育ってほしい思うのです。
そんな深圳市がどんなところなのか、深圳のニュースサイトに深圳市を空撮した動画がアップロードされましたので、ぜひご覧になってみてください。こちらで見れます。→深圳新聞網
いつの日か深圳育ちの日本人の活躍がニュースで報道されるなんて日が来ることを楽しみにしています。


深圳のランドマークの地王大廈も新しい京基100の隣では小さく見える。