香港学習塾 epis Education Centre

わかば深圳教室 教室長ブログ

教室長末木千尋

2011年12月に香港へ赴任。旧九龍教室、わかば深圳教室とで合計6年間勤務をし、2017年から再び深圳へ。きめ細やかなサポートには定評があり、時間が経つのも忘れついつい話し込んでしまうことも。本気で立ち向かう生徒の守護神として頼れるアネゴ的存在であるスエキチ先生は、衣食住どれをとっても刺激の絶えないここ深圳での生活がお気に入り。暑さには弱いが辛さには強い。好物は山椒のたっぷり入った激辛料理全般だとか。

今日は夏至です。

夏至の朝の美年広場。ビルの窓にも青空が映える。

昨晩、コーヒーを飲みながら考え事をしていると、突然、携帯電話が「ポロリン」と何かの通知音。何かと思って見てみると、

「明日は夏至です。」

最近インストールしたばかりの「風水アプリ」が今日の夏至を知らせてくれました。風水にはまっているわけではありませんが、風水アプリなるものをインストールして少し遊んでみたのです。

深圳市は北緯22度33分と、北回帰線のわずかに南に位置しています。そのために、この夏至の日の正午頃には太陽がほぼ頭の真上に上り影がほとんどなくなるので、その瞬間が毎年楽しみでなんとなくソワソワしてしまうのです。
なんとなくソワソワするその日を忘れてかけていた私に風水アプリが知らせてくれるのと同時に、そもそも風水と夏至に関連性があることに気づかせてくれました。


電灯の影がほぼ真下にできている。

風水について少し調べてみると、紀元前1000年、今から3000年ほど前の中国にその起源があり、その知識と経験が脈々と受け継がれ、1つの思想が確立されてきたということです。

私は特に風水や占星術を信じるわけではありませんが、千年単位で蓄積されてきた情報や経験から一定の方向性を見出すという意味では、確実性はなくとも、一つの経験則として意味があると思えるので非常に興味深いと感じています。

携帯電話が「ポロリン」と鳴った昨晩は、満月で今日が夏至。地球の北極が太陽に向けて最も傾くと同時に、その背面に月が位置するといういつもより特別な夏至の知らせだったようです。

そう言われてみると、月が一際明るく輝いているように感じてしまうし、今日の夏至という日の空も一際鮮やかな特別な青色に感じてしまいます。

科学の発展した現代とは言え、ヒトが進化したわけではないので、「今日は特別な日だ」と言われれば、そのような気もしてしまうわけで、まして科学の発達していない、1000年以上も前の人々であれば、人心を操るのも決して難しいことではなかったのだと思います。唐の玄宗皇帝が風水の秘伝の流出を防ぐ策を講じたというのもうなずけます。


長いポールの影もこんなに短い。

私は「風水」も面白いと思いますが、「漢方」にもまた同じように興味があります。いったいどこの誰が鹿の角なんかを利用し、そして効能があることを確かめたのか。ヒトデやらトカゲやらタツノオトシゴやらがアルコール漬けにされているのを見かけますが、本当に効能があるのだろうか??

以前、私が足をくじいた時に薬局で店員さんがオススメしてくれた漢方の塗り薬がありました。雲南省で生産されその薬は捻挫や切り傷に効果があるとのことですが、成分はなんと「国家機密」。少し不安な気持ちとワクワクする気持ちでその薬を使ってみましたが、間違いなく効果があり腫れがひき、痛みもやわらいだのです。

風水でも玄宗皇帝が登場しましたが、玄宗皇帝は漢方にもさぞかし興味があったのか、玄宗皇帝と漢方を検索してみると、情報が湯水のように出てきます。自分自身のために漢方を発展させたのか、愛する楊貴妃のために必死だったのかわかりませんが、ありとあらゆる物で実験させたのかもしれません。

近代的な生活で薄らいではいますが、今でも中国では風水やら漢方やら不思議な観念の影響を受けながら人々は生活しています。何でもかんでもロジカルに処理するのではなく、「なんだかよく分からないけど良いんだよね」というような非論理的な部分が残されているのは、現代社会においては、ホッとできる心のゆとりかとも思います。

中国のこの謎めいた部分こそが中国の魅力なのかなと、なんとなく特別な夏至の日に感じています。普通の日であるような気もするし、特別な日であるような気もしてきます。ただ、不思議なことにいつもより空が青く感じるのは科学的な根拠に由来することなんでしょうかね?


ライチに学ぶ

新学期を迎え、慌ただしく過ごしているとうちに、ふと気づくと5月になっていました。目の前の業務に追われていると、どうしても先のことを考えることができなくなります。そんな時は忙しくても散歩やジョギングが有効だと思っています。散歩やジョギングの間、スマホやテレビなどから解放され、自分自身だけと向き合うと考えがまとまったり、新しいアイディアが生まれたりします。


公園のライチの木

深圳の街では様々な草花を目にすることができます。5月になるとライチの花が咲き始めます。5月、6月を通じて成長するライチを見ていると、深圳に住んでいる実感とここで流れる時間を肌で感じることができるような気がします。

ライチのことを少し調べてみると、中国「嶺南地方」原産という記述が見られます。嶺南地方というのは、中国南部の広東省、江西省とベトナム北部を含む一体を指す地域のことで、「嶺南」という言葉通り、いくつかの嶺に囲まれた、地形的には一つの地域になっています。

以前、香港からベトナムのハノイまで全ての行程をバスだけを使って旅行をしたことがあります。この時に漠然と感じていたのは、大きな山は越えず、国境はあれど一続きな土地であるということでした。何よりも同じカルスト地形で有名な中国の桂林とベトナムのハロン湾が見た目にもそのまま同じ大地であることを証明してくれていますし、カルスト地形は桂林やハロン湾にだけあるのではなく、嶺南地方の様々な場所でみることができます。香港からベトナムへの道中では、このカルスト地形の中を移動する場所もあるので、長い長いバスでの移動ですが、その景色が移動中の醍醐味とも言えます。

嶺南地方について考えてみると、さらに思い当たることがあります。広東語とベトナム語。このどちらの言語も私が中途半端に学習をしたという点で共通点がありますが、それはさておき、音がよく似ている印象があります。文法的には共通点がないようですが、嶺南地方という同じ地域で発音の仕方などが似たものになっていったのかもしれません。


ライチの花と小さい実

ライチの花は毎年この時期に何かを教えてくれます。今年は私の住む深圳からベトナムまでのつながりについて教えたかと思うと、感慨深いものがあります。

話はそれますが、多くの帰国生入試では面接が設定されています。その中で、「自分の住む国・地域」について話すことは大きなテーマの一つです。入試対策のために行動するのは可笑しなことですが、日頃から自分の住む地域での生活を楽しんでいれば、自ずと面接の答えなど簡単に用意できるものです。一般的に言われているその国の評価ではなく、自分なりに感じたことを自分の言葉で伝えらえることが大事だと思います。地域の公園や広場などに行ってみるだけで、きっと新しい発見が得られるので、忙しいときこそ普段行かないところに行ってみてください。

入試にとらわれて生活しているのは堅苦しくて仕方がないですが、海外での生活を満喫することこそが海外に住む子供たちに求められていることだと思います。せっかくの海外生活ですから、とことん楽しみましょう!


勉強のことは少し忘れて夜空を眺めてみる

オリオン座(Wikipediaより)

 わかば深圳教室のある美年広場から大通りへ出る敷地内の通り道は、真東よりやや南よりの方角に伸びています。私が教室の勤務を終えて帰宅するころには、日本や香港のように灯りが残っておらず、暗闇の中その小道を歩くことになります。普通に顔を上げて歩いていれば自然と東の空の夜空が目に飛び込んできます。

 最近は東の空からちょうど上ってくるオリオンの横たわった姿が見られるようになってきました。毎日同じ時刻に見ていてもオリオンは見えても青白く輝くシリウスは見えていませんでしたが、その姿も徐々にみられるようになってきました。

 理科の天体の単元では「オリオン座は冬を代表する星座です」と学習します。あるいは「冬にはオリオン座が見られます」と学習するでしょうか。しかし、そんなことは学習しなくても、普段の生活の中でオリオン座が冬の星座であることを周囲の空気とともに脳も体も記憶してくれています。深圳で見るオリオン座であるにもかからず、日本で幾度となく見てきたオリオンの記憶があるせいか、私は体が寒さに震えるような感覚さえ覚えます。

 オリオン座を見ると、現実にはない寒さを感じると同時に、「今年も冬がやってきたな」とも思いますが、「あの時もオリオン座が見えていたな」とオリオン座には過去の記憶が結びついています。


オリオン座(Wikipediaより)

 遠い記憶ながら一番よく思い出すのは、大学時代を過ごした街を去るその日の朝のことです。徹夜で友人宅で飲み明かした夜明けごろに、ベランダに涼みに出て思いがけず目に入ってきたのはオリオン座でした。それは8月か9月のことだったので、オリオン座が見える季節ではありませんでしたが、夜明け頃に少しだけ見える東の空のオリオンを見ることができました。夏の夜空に思いがけず見ることのできた驚きと、友人との別れを惜しむ気持ちが相まってか、記憶に深く刻み込まれているようです。

 近い記憶でいえば、2015年10月31日の香港での土浦日大高校の入試の朝を思い出します。今年は香港日本人中学校前での校門激励に向かうべく、朝の6時に深圳を出発しました。その日の朝、夜の明け始めている空をふと見上げると南の空に月とオリオンが、東の空には金星、火星、木星がめずらしくそろって輝いていました。この日の夜空も生徒たちの顔とともに記憶に刻み込まれるのかもしれません。

 香港でも深圳でもオリオン座くらいはかろうじてみることができます。オリオンが見えにくくても冬の大三角はわかります。スマートフォンのアプリを使って画面を星に向ければ星座名や星の名前を重ねてみることもできます。特に中学受験に必要な知識は、日常生活をどれだけ豊かに過ごせているかが重要な鍵となっています。勉強という意識を捨てて、夜の散歩に出かけてみてはいかがでしょうか。


中国から学ぶこと

廈門の中山公園のバナナの花

日本に住んでいる日本人自身が、日本文化、日本の歴史、日本人について理解が足りず、外国人の方が客観的に分析できることがあります。日本は島国で陸続きの国々に比べ、人種、言語、文化の多様性の少ない環境であるため、直接的な比較をする機会が少ないせいか、自国を客観的に見ることに慣れていないように感じます。

同様に海外に住んでいる私たちは初めて海外を訪れた時には、その土地のことを客観的に捉えることができますが、日々の生活を繰り返していると自然とその土地に馴染んでしまい、改めて考えてみないとその国の特徴に気付けない場合もあります。それでも、考えてみれば、日本との大きな違いやその土地の特徴がはっきりと見えてくるものですが、私の住む深センはその点で非常にわかりにくい都市だと思っています。

深センの歴史といえば、1980年に鄧小平が経済特区に指定した時が歴史の始まりと言ってもよく、たった30年程度のことです。そのため歴史的建造物は皆無に等しく、深センに住んでいて「中国に住んでいるんだ」と強く認識することはほとんどありません。中国らしさと言えば周囲の人々が中国語を話していることだけです。その中国語も広東省でありながら、広東語ではなく、北京語(普通話)がほとんどです。

それはたった30年で急速に発展したことに由来しており、生粋の深セン人は少なく、湖南省を中心に他省から移住してきた労働者が多いために、広東語ではなく、共通語としての北京語が地域の言葉として使われているからです。高層ビルやショッピングモールが林立し、歴史的建造物がなく、地域の言葉を話さない人々が住む深センという街は、特徴の欠く、捉えどころのない土地だとも言えます。

廈門で感じた中国の豊かさ

先日、福建省の廈門(アモイ)に行く機会がありました。廈門は対岸に台湾のある要衝で、近代史においても今日でも非常に重要な役割を担っている都市です。

中国の歴史で言えば、中国共産党と中国国民党による国共内戦が生んだ争いが未だに解決に至らず、一つの中国が中国と台湾に分断された状態を目の前に見ることができる、深センとは一転して、歴史をそのまま引きずったような土地が廈門とも言えます。しかし、私が廈門で感じたことは、そのような政治的な対立による憎しみなどではありません。

中国共産党から台湾に追われる形となった国民党ですが、その国民党の結成の中心人物として活躍したのは孫文です。孫文は共産党からすれば政敵とも言える国民党の中心人物ですが、現在の中国でも尊敬を集め、孫文(孫中山)から名付けられた中山公園は中国各地至る所にあります。

廈門の中山公園では、人々が集い、思い思いの方法で夕暮れ時を過ごしている人々の光景を目の当たりにしました。ただただ談笑するグループ、散歩する親子、中国特有の遊び羽根蹴りをするグループ、トランプに興じるグループ。そこには、日常の慌ただしさや喧騒など皆無で、人生の1日1日をゆっくりと歩むように愉しむ人々ばかりでした。

孫文を祀る中山陵や、孫文にゆかりのある建物には青天白日旗を象徴するような青い瑠璃瓦が使われています。その色合いがなんとも平和的であり、その傍らで平和を象徴するような人々の行いは、中国の豊かさそのものを映し出す鏡とも言えます。

一般的に中国と言えば、マナーが悪い、トイレが汚いなどと小さいなことから、政治に関する大きなことまで、批判ばかりを耳にします。一方で「中国の良いところは?」と問われると、食べ物が安い、交通費が安い、偽物ブランド品が手に入ることなど。

日本人は得てして中国の小さな良し悪しばかりが目に付くようです。しかし、中国から学ぶべきことはそうした些細なことではなく、まさに大陸的に全てを包み込むような悠然たる人生観ではないでしょうか。

私は当の中国人でさえも、その中国の良さにはあまり気づいていないのではないかと思います。清代末期に中国が成し得なかった文明開化を今、急速に進められている感があります。

深センに住む子供達を育てるために


赤いプルメリア(深セン)

深センは経済発展の急先鋒と言えます。高層ビル、マンションが次々と建設され、地下鉄網も拡張し続けています。中国各地から多くの若者が深センドリームを追い求め集まり、自ら起業したり、ビジネスチャンスを見つけてチャレンジを続けています。

深センでは廈門のような歴史的な重みは感じません。歴史に縛られず、軽やかで開放的でチャンスに満ち溢れている元気な都市が深センです。そして、深センは語るほどの歴史がないというよりも、今、深センが都市としての個性を持つに至る成長過程にあり、そこに住む私たちも深センの個性を作り上げる歴史の真っ只中にいるのだということです。こんなチャンスは滅多にないと私は感じています。

しかし、深センに住む日本の子供達は、誇りを持って深センに住んでいるでしょうか。多くの子供達は深センに住む自分たちに誇りを持ってるとは思えません。なぜでしょう。深センに魅力がないからではありません。多くの大人たちが深センに住んでいることに誇りを持っていないからです。

大人の都合はともかく、子供達は住む地域を選択する自由がありません。10代までに過ごす土地に誇りを持つことができない子供達の精神的な発達、自己肯定感への影響は非常に大きいものと考えます。自分の住む土地を汚い、マナーが悪いと批判しながら暮らした人間が健全に育つでしょうか。

深センに住む私たち大人の使命として、子供達に自分たちが住む深センという土地、中国という国を好きになってもらう、ひいては自分たちをもっと愛せるようになるためにも、深セン、中国を理解し、子供達に伝えていく必要があると思います。日本の報道で中国批判をしたとしても、中国に住む我々は中国を批判するのではなく、そこから学べることにもっと目を向けていくべきです。

今年の夏期講習では、中学3年生に深センを少しでも知ってもらうべく、前海深港青年夢工場と大鵬古城という深センの象徴的な2箇所をめぐるツアーにでかけました。深センのことが、中国のことが少しでも好きになった彼らが将来世界の架け橋となってくれること、世界を舞台に活躍してくれることを期待しています。

「深センでこんないいところがある!」という方がいらっしゃれば是非教えてください。子供達をまた別な機会に連れていってあげようと思います。


バウヒニア

episのWebサイトがリニューアルされ教室長ブログもスタートしました。
ここでは気になる教育関連のニュースや深センのことを紹介していきたいと思います。


今日はわかば深セン教室のある美年広場の花の写真を撮ってみました。
みなさんこの花をご存知でしょうか。
学名ではBauhinia(バウヒニア)、和名では蘇芯花(ソシンカ)、中国名は羊蹄甲(ヨウテイコウ)、英名はorchid tree(オーキッドツリー)と呼ばれています。


バウヒニアは香港の区旗(国旗の様な物)のモチーフになっている花としても有名なのではないでしょうか。
日常生活を淡々と送っていると、日本に住んでいても、海外に住んでいても大差なく感じることもありますが、香港を代表するバウヒニアを見る度に、自分が香港・深センにいることを再認識させられます。
episは香港を本拠地とした塾ですし、私自身香港に長く住んでいましたので、バウヒニアには特別な思いがあります。


ところで、バウヒニアはマメ科の植物ということで、花が散るころにはインゲン豆のような実がなります。深センにはマメ科の植物が多いようで、バウヒニア以外にもマメがなっている植物を見かけます。



香港で特別な花と言えばバウヒニアですが、日本人にとって特別な花と言えばやはり桜でしょうか。その散り際に見せる美しさ・儚さは、日本人の美意識・死生観にも大きな影響を与えていると思います。

そんなことを考えていると、ある疑問が生じてきます。
産まれた時から深センで育ち、バウヒニアを見ながら育った我が子にとっては、花と言えばやはりバウヒニア?ブーゲンビリア?ハイビスカス?となるのでしょうか。
花の散り際の儚さではなく、花が散った後にはマメがなる…。
なんとも南国的なのどかさです。

深センの子ども達がおおらかで素直なのは、やはり必然なのでしょうか。

わかば深セン教室からはいつでもバウヒニアを見ることができます。
教室にお越しの際は、ぜひバウヒニアも眺めていってください。